今でこそ自分の時間をコントロールしながら会社員を続けていますが、子どもが小さかった頃の保育園生活は、まさに「死に物狂い」という言葉がぴったりな日々でした。
始まりは、役所の窓口でした。 教えてもらった認可保育園は、会社とは全く反対方向にある、結構離れた場所。そもそも当時は保育園自体が少なく、待機児童があふれかえっていて、まずは入れる保証なんてどこにもない状態だったのです。
「こうなったら、認可外でも構わない」
そう腹をくくって必死に探したところ、駅から反対方向ではありましたが、昭和の時代からある大きな認可外保育園に巡り合うことができ、 見つけた瞬間、わたしの決断は速攻でした。
そこからは、ノンストップの日々が始まります。
産休だけで職場に復帰し、朝の7時から夜の19時まで保育園に預ける毎日。
正直なところ、当時のわたしはもうボロボロ。
夜は、よく子どもと一緒にリビングで行き倒れ状態で寝落ちしてました(笑)
子どもが病気になった時は、諸事情から実家を頼ることはできず、少し離れた場所に住む姉に頼りながら、なんとか綱渡りでやりくりする日々。
当時、地域にたった一カ所しかなかった病児保育は、「当日の朝に連絡が必要」というシステムで、およそ働く親にとっては全く役に立ちませんでした。
また、会社の制度として時短勤務はありましたが、さまざまな事情があって使うことはできず、9時から17時までのフルタイム勤務。
今振り返っても、「自分、本当によくやってたな」としみじみ思います。
あの過酷な日々を乗り越えられたのは、ひとえにあの保育園のおかげです。
園の存在に、そして先生方に、大変助けていただきました。
あそこの保育園がなかったら、わたしは間違いなく、今日まで働き続けることはできませんでした。
先生方には、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、ありがとうございました。
そして今、まさに同じように、仕事と育児の激流の中で現在進行形で戦っている親御さんたちがたくさんいらっしゃると思います。
いやもう無理!って全てを投げ出したくなるその気持ち、心底理解できます。
渦中にいるときは、毎日の必死さで先のことなんて見えないかもしれません。 でも、数十年が経った今だからこそ、心から思えるのです。
あの、生きるだけで精一杯だった死に物狂いの毎日が、後になって振り返ると、本当に愛しく、かけがえのない時間として思い出される日が必ず来ます。
だからどうか、完璧じゃなくて大丈夫です。今日も無事に一日を終えられた自分を、たくさん褒めてあげてくださいね。
最後に、ひとつだけ。
子どもがどれだけ大きくなり手がかからなくなっても、親としての悩みにはいつまでも終わりがないということだけは、お伝えしておきますね(うちだけか?)
